【連続ブログ小説】宝沼歌劇団 第7話│稽古場で見つけた言葉の魔法

・この物語はAIにより作成したプロットを採用し、AIと協働して執筆しています。
・掲載されているイラストはAIにより作成されています。
 ※無断使用・転載は固くお断りいたします。

前回のストーリー

残り香

  花子は翌朝、いつもより5分だけ早く家を出た。通勤電車の窓に映る自分の顔は、まだどこか夢の中にいるような目をしている。花子は前髪を指で押さえ、息を整えた。整えたいのは髪ではなく、胸の奥のざわめきだ。

 化粧前で聞いた笑い声と、ひなたの声が、まだ耳の奥のほうにわずかに残っている。駅のホームで、無言で行き交う人の波に押されていることが妙に心細くなった。あの楽屋の賑やかさと温かい笑い声が恋しい。花子は我に返って口元を引き締めた。

 会社の朝礼は、当たり前だが、いつも通りに行われた。締め切りが並び、数字が並び、上司の声が整然と並ぶ。花子は自分の席に戻ると、あえて、書類を揃える動作をゆっくりにした。動きをゆっくりにすることで、不思議と呼吸も落ち着くからだ。昼休みみの少し前、仕事で忙しく動き回っているらしいヌマ友の梨沙からLINEが入った。

「近くに来てるけど、お昼出られる?」

昼休みに入るや否や、花子はオフィスビルを出て、梨沙が待つ近くの公園のベンチへ向かった。梨沙は厚手のコートの襟を立てたまま、紙袋を片手に待っていた。紙袋から覗くのは、宝沼キャトルのロゴが入った小さな袋だ。

「これ、昨日届いたんだ。花子に渡そうと思って」

「え、なに」

「リップ。香り控えめのやつ。花子、探してたでしょ?」

「なんで知ってるの?」

「顔に書いてあった(笑)」

 梨沙があまりにも淡々と言うので、花子も思わず笑ってそれ以上聞くことはしなかった。梨沙は花子に袋を渡しながら、少しだけ声を落とした。

「最近、花子の目が忙しいの、分かるよ。だから、自分の周りに“お気に入りの物”だけでも整えておくといいと思うよ」

「お気に入りの物か……」

「いろんな心の準備は、どうせ勝手にしちゃうからね」

「それは、否定できない(笑)」

「でしょ」

 花子はこの空気感がなんとも心地良くて、ついつい長居したくなる。

「今日の仕事終わりって何か予定ある?」

「急な仕事が入らなければ、大丈夫だと思う。ごはん行く?」

「ちょっとだけ」

「花子のちょっとだけ、は怪しいけど(笑)」

「否定はしない(笑)」

「OK!じゃ、あとでまた、LINEするね」

 そう言うと、梨沙は足早に駅の方へと去って行った。

 梨沙からもらった紙袋を胸に抱え、仕事に戻った花子。パソコンを叩く指に心なしか力が入らない。理由は簡単だった。夜の約束のことが気になり始めていたのだ。自分で言い出しておきながら、少しだけ後悔していた。

 いつ来るかわからないシルビーのことが頭に浮かんでくる。今夜、来るかもしれない。明日かも知れない。いや、しばらく来ないかもしれない。だが、じっとしていても勝手な妄想が増えるだけだ。それを止めるのは、案外、他人の声だったりする。

 手を止めながら、どっさりと積まれた書類の山に目をやる花子。これを片付けるのが先決だ。余計なことを考えている暇はない。考えている暇はないはずなのに、“稽古場”というシルビーの声だけは、頭の片隅でこだまする。

 花子はキーボードを叩きながら、あの賑やかだった化粧前の雰囲気をぼんやりと思い出していた。賑やかで、笑いが溢れていて、それでも誰も邪魔をしない。稽古場もそんな感じなのだろうか。花子は自分の想像が、勝手に独り歩きしていくのを感じ、息を整え直した。

 もうすぐ定時という頃になって、上司が花子の席に近づいてきた。こういう時は大概、良い知らせではない。

「今日、少しだけ残れる?急ぎで頼みたい書類があるんだけど」

 花子の胸がきゅっと縮む。断る理由はない。でも、断りたい理由はある。花子は一拍置いて、笑顔で答えた。

「すみません。今日は予定があって残れないんです。明日、朝いちの対応でもよろしいですか」

「できれば今日中にと思ったんだけど、仕方がないな。じゃあ、明日のあさイチで頼むね」

 花子はホッと胸をなでおろし、退勤の準備を整えた。梨沙と約束しているカフェへ向かうと、梨沙はすでに席についてメニューを眺めていた。花子に気付くとメニューを閉じて軽く手を振る。

「今日は早めに切り上げようね」

 開口一番、そう言われた花子は不思議そうに梨沙を見た。

「なんか目が忙しそうだから(笑)」

「え?そんなことないよ。どんな目?(笑)」

「そわそわしてる」

「してないよ」

「してるよ。目が落ち着いてない」

 梨沙のいつもの冗談なのか、花子が本当にそわそわしていたのか。花子はコーヒーを頼み、カップの温かさに指先を預けた。梨沙はおしゃれなハーブティーを飲みながら、花子の鞄からのぞく紙袋に目を留めた。

「それ、人気商品でいつも売り切れてるんだよね」

「ほんと、助かった!ずっと欲しかったんだけど、いつ見に行っても売り切れで」

「入荷するタイミングを調べてたからね、私」

「さすが、梨沙だわ」

 性格なのか、仕事柄なのか、梨沙はいつも効率よく物事を進めていく。

「ところで、夢の続きは楽しめてるの?ちゃんと“準備”してる?」

 梨沙がいたずらっぽく笑う。

「え、あ、うん……」

 花子はあの稽古場での出来事を語りたい衝動に駆られる。でも、喉の奥で言葉をひっこめた。いま話せば、まだかすかに残る化粧前のあのざわめきが消えてしまうような気がしたからだ。

「なかなか、やっぱり、準備って言われても、難しいよね」

 大真面目に答える花子を見ながら、梨沙が笑顔で話し続ける。

「とりあえずさ、やれることをやっておくしかないよね。爪切るとか」

「それはもうやったわ」

「じゃあ、準備はできてる。問題ない(笑)」

 ハーブティーをもうひと口飲んで、梨沙はカップを置いた。そして続ける。

「でも、花子は勢いで空回りすることがあるから、あまり色々考えない方がいいかも。やることを減らすってのも準備よ」

「減らす……」

「夜更かししない。検索しない。眠る。これが最強」

「たしかに」

 それから話題は宝沼の話から、自然と仕事の愚痴へと移っていった。それが花子には少しだけ安心を与えていた。推し活の話ばかりになると、心がひとつの方向へ傾きすぎて、ときどき、そのバランスがうまく取れなくて不安になることがあるからだ。花子はカフェを出るとき、胸の奥が少しだけ落ち着きを取り戻しているのを感じていた。

稽古場に落ちた言葉

 帰宅すると、部屋はいつものように静まりかえっていた。冷蔵庫の音だけが、小さく唸り声をあげている。花子は部屋の明かりをつけ、コートを掛け、手を洗った。指先が清潔だと、それだけで気持ちが落ち着く。梨沙からもらった袋を開けると、わずかに柑橘系の香りがするリップが入っていた。花子はそれをポーチに入れ、ミントケースの隣に並べた。

 夕食は週末に作り置きした冷凍もののおかずとごはん。そして湯気の立つ温かい味噌汁を飲んで、深く深呼吸をした。食事中でも棚の上のルヨンクが気になる。紙の端は光っていない。花子の心臓だけが勝手に太鼓を打ち始めているのは気のせいか。

「来るなら来い」

 花子は独り言をつぶやき、すぐに口を押さえた。夕食の食器を片付け、大好きなコーヒーを淹れる。これが毎日の日課だ。コーヒーカップをソファの前のテーブルに置くと、花子はソファーにもたれかかり、ルヨンクを膝の上に置いた。ページをめくる音がけが部屋の中に響く。その音が、やけに頼もしい。そして、そのときが来た。

 銀橋の写真に指が触れた瞬間、銀色の反射が線になった。線は空中へ伸び、裂け目になる。花子が息を止めるよりも先に、小さな影が落ちてきた。

「こんばんは」

 シルビーは相変わらず、仕事ができそうな目をしていた。花子は笑顔で頷く。

「準備はできた?」

「たぶん」

「たぶんじゃだめ。できた、って顔をして」

「顔は、努力する」

「OK、じゃあ行くよ。目と耳だけだよ、いいね」

 花子は返事の代わりに力いっぱい瞬きをした。シルビーは満足そうに小さく頷き、空中に文字を浮かべた。花子が指先で触れると、ひんやりして、すぐに温かい。矛盾した感触が指先に残った瞬間、視界が銀色に染まった。落ちていく感覚は前よりも短い。怖さよりも先に遠くから何かの音が聞こえてくる。床を叩く靴音、笑い声、手拍子のような音。

 花子はそっと目を開けた。稽古場だった。稽古場は想像していたよりもずっと広い。舞台よりも飾りが少ない分、空間がむき出しだ。

 壁一面に張り巡らされた鏡が、たくさんの人々映している。床には沢山のテープが貼られ、線が走っている。線の上を人が行き来し、声が飛ぶ。その声の多さに、花子は意外なほど安心していた。化粧前の賑やかさとは違って、ここはもっと直接的だった。注意も冗談も、同じ空気の中に混ざっている。

 花子は壁際に座っていた。動けない。動く必要がない場所に、ちゃんと置かれているようだ。だが、目が忙しい。花子のその忙しい目が追いかけているのは、もちろんせっぴー、紲瀬ひなた、その人だった。

 ひなたは稽古着を着ていても、姿勢がぶれていない。王子の衣装を纏っていなくても、どこかにピーンとした線が張り巡らされている。その表情は柔らかい。ひなたが笑うと周りにも笑顔が広がっていく。けれど、笑った後の真剣モードへの切り替えは速い。花子はそれを見て、喉の奥が熱くなる。

「もう一回、頭からいこうか」

「はい」

「ちゃんと息してからでいいからね」

「息してます」

「してない顔してるよ」

「してますってば、ほら、見て」

 肩を上下させ、大げさに呼吸して見せるひなたの姿に笑いが起きる。でも、笑いが起きた瞬間にはもう次の動きが始まる。けっして止まらない。止まらないのに誰も置いていかない。ひなたの相手役である水城すずが、鏡の前で足を左右動かしながら声をかける。

「ひなたさん、ここ、私が少し遅れてる気がして」

「うん、そうだね。焦らなくていいよ。まず、呼吸だけ先に合わせようか」

「呼吸、ですか」

「そう。音より先に呼吸。そうすると自然に足が揃うと思う」

「分かりました」

 すずが深く息を吸うと、周りもつられて息を吸う。息が揃うと、空気が揃う。花子は思わず一緒に大きく息を吸い、慌てて肩を落とした。休憩時間になると、自然とあちらこちらで自主稽古が始まる。2番手男役スター鷹宮れんが、前に出て手を叩く。

「ここからね。音を数える。言葉は少なく」

「れん、言葉が少ないと下級生は余計こわいって(笑)」

「こわがる暇があるなら、足の動きを覚える、ね」

 れんの語り掛けに、その場面に出演するらしき下級生数名が反応する。

「はい!」

 れんは笑っていなかったが、怒ってもいない。適切に放たれる短い言葉は、場を整えていく。

「さ、がんばろう。疲れた顔してると、余計疲れちゃうから」

ひなたの言葉が稽古場に響くと、短い休憩時間が終わり、音楽が流れ始める。稽古場のスピーカーから出る音は、舞台の音より乾いている。全員が一斉に動き出す。足が床を叩き、息が重なり、腕が空気を切る。最前列の中央で踊るひなたの動きは大きいのに、周りの視線を奪いすぎない。奪えるのに奪わない。その加減が、花子には眩しかった。

 途中で、すずの足がわずかに遅れたのが花子にもわかった。遅れた瞬間、すずの眉が動く。焦りが顔に出そうになるのをグッとこらえて踊り切るが、直後、ひなたが彼女に声をかけた。

「大丈夫。次、呼吸を揃えよう」

「すみません」

「謝らなくていい。遅れたことが分かった、ってことが大事なんだから」

「はい」

「自分で分かれば直せるよ。大丈夫」

 その言い方が、花子の胸に刺さった。けして甘やかしているのではない。次へ進むために必要なことは、自らの“気づき”であることを言葉に乗せて伝えているのだ。花子がその深い思いに感動しながら様子を眺めていると、今度は全員が足元のテープの線を見て、すっと配置を変えた。

 花子はそこで初めて、床に長い銀色のテープが一本貼られていることに気づいた。幅が細く、光の当たり方で少しだけ目立つ。銀橋だ。花子の胸が、勝手に飛び跳ねる。

 ひなたはその銀色の線の中央手前に立ち、すずとれんが両サイドに立つ、しおんは端で待機する。舞台の装置がないのに、立ち位置だけで景色が浮かぶ。花子は息を飲んだ。息を飲むと、音が出そうになるので、口をそっと閉じる。

 ひなたの視線が正面を静かに見渡す。すずとれんがその横で微笑む。3人の視線の先には客席がある、はずだ。そこは花子たちの場所。稽古場なのに、なぜか舞台の匂いがした。

「じゃあ、このまま銀橋の歩きを確認しておこか」

演出家の声が飛ぶ。

「あなたたちなら勢いで行っちゃえると思うけど、勢いだけだと、それはそれで危ないしな」

「ここ、花道まで走っちゃだめですかね?」

茶目っ気たっぷりにれんが尋ねると、演出家から笑い声が漏れる。

「だめ、だめ。走ると、あなたは顔が焦るから(笑)」

「暗転しても、意外と客席から見えてるみたいですよ」

 すずが小さく笑うと、ひなたは笑顔で足を一歩だけ前に出した。

「ここで大事なのは、ゆっくり歩いて、間を作ることかな。その間が客席に私たちの息を届けてくれる気がする」

「息が届く……」

「うん。客席にね」

 すずが線の上を歩き出すと、ひなたが指先で合図を出した。

「焦らない。足より先に、目線を意識してみて」

「目線……」

 演出家の乾いた拍手の音を合図に、全員が次の動きへ戻っていく。同時に、教室の向こう側の廊下から大きな声で話す声が聞こえてくる。

「すみません、もう一回いいですか? 気持ちが先に走ってしまって……」

 橘しおんが、振り付けで手くできなかったところを確認をしているようだった。上級生らしき男役さんが答える。

「『こう見せたい』が先に出てしまうと踊れないからね、自分でわかったでしょ?」

「はい、なんか足が置き去りになっちゃいました」

「足は置き去りにせんといてな。転ぶし(笑)。もう一回やってみて」

「はい、お願いします!」

 稽古は教室の中だけでなく、廊下でも何度も繰り返されていた。同じ音楽。同じ動き。だが花子の心を震わせたのは、繰り返し続けられている稽古そのものではない。

 この同じ場所で、同じ失敗が起きたとしても、誰も露骨にため息をつかないし、厳しく指導されることはあっても、不満の声を上げる者はいない。生徒一人ひとりが同じ目標に向かって進んでいる、ということが手に取るようにわかったことだ。

 ここで固まった空気はときとして笑いで回収され、滞った風には努力で風穴を見つける。そして立ち止まってしまった心には、優しさの詰まった言葉たちが気づきを運んでくれる。その出来過ぎたバランスが、花子には信じられなかった。自分の職場には、はたしてこんなバランスが成り立つのだろうかと。

 最後の通しが終わると、部屋の空気が少しだけ緩んだ。ひなたがタオルで汗を拭きながら、周りに目を配る。稽古場の端では、桐生みやびが下級生たちにしきりに声をかけていた。

「ちゃんと水分補給してる?具合が悪い人は、無理して黙らないでよ」

「はい、ありがとうございます」

 すると、ひなたが立ち上がって口を開いた。

「お疲れさま。最後に一つだけいいかな」

 全員の視線がひなたに集中する。

「自分の体、守ってね。体が守れないと、舞台の夢も守れないから。以上!」

 小さくひとつだけ手を叩き、紲瀬ひなたはにっこり笑顔を見せながら背を向けた。稽古場にいた誰よりも、ひなたのその言葉に胸を熱くしていたのは花子だったかも知れない。彼女は思わず胸の前で両手を強く握りしめ、心の中で大きな拍手の音を打ち鳴らしていた。

 そのとき、シルビーが、そっと花子の耳元で囁く。

「見た?」

 花子は大きく瞬きをして頷く。

「感じた?」

 花子はもう一度瞬きをした。

「じゃあ、帰るよ」

「え、ちょっと、まって……」

 次の瞬間、花子は銀色の風に包まれた。視界が白くなり、もう次の瞬間には、自宅のソファに戻っていた。ルヨンクは膝の上で開かれたまま、部屋の中はやけに静かで、自分の呼吸だけがはっきりと聞こえる。


【宝沼歌劇団 第8話│忍び寄る退団の影】の更新予定は2/17です。

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