
・この物語はAIにより作成したプロットを採用し、AIと協働して執筆しています。
・掲載されているイラストはAIにより作成されています。
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前回のストーリー
化粧前の余韻
花子はしばらく動けなかった。動けば、今見たものがこぼれ落ちる気がしたからだ。思い出そうとすればするほど、細部がすり抜けていく。誰がどんな髪留めを使っていたのか。どの言葉に笑いが起きたのか。ひなたの横顔はどうだったのか。指の間から砂が落ちるみたいに、記憶が軽くなる。それでも、残るものがあった。
――賑やかだった。温かかった。誰かが誰かを支えるとき、声はトゲにならなかった。
花子は息をついた。息をついた音さえ、なんだか大きく聞こえる。自分の部屋なのに、なぜかまだ背筋が伸びている。花子は天井を仰ぎながら両手をギュッと握りしめ、笑う。
「……無理。ほんと、あそこは無理だわ」
思わず声が出た。出した瞬間、契約違反ではないかと慌ててあたりを見回す。もちろん、シルビーはいない。ここは現実だ。声を出しても、誰も困らない。そう言い聞かせても、胸の鼓動が落ち着かない。
花子は机の引き出しから、使いかけのメモ帳を取り出した。会社でも使っている、100均ショップで買ったメモ帳だ。そこに、思い出せることだけ書こうとした。書けば、少しは残るかもしれない。そう思ったのに、ペン先が止まる。
何を書けばいい。誰が何を言ったか。どんな顔をしていたか。思い出そうとすると、まぶたの裏が白くなる。無理に思い出そうとすほど、全部が嘘っぽくなる。花子は焦って、またミントを口に放り込んだ。
結局、花子は短い言葉だけをそこに書き残した。
――賑やか、そして、声がやさしい。
自分の字が、やけに他人事に見える。花子はメモ帳をそっと閉じた。残らないなら残らないでいい。残った「気づき」だけで、明日を生きればいい。その夜、花子はいつもより丁寧に歯を磨き、いつもより長く湯船に浸かった。湯の中で、それでも化粧前の灯りを思い出そうとする。思い出せない。思い出せないのに、なぜか頬だけは自然に緩んでしまう。
翌朝。花子は目覚ましが鳴る前に目を開けた。脳内が勝手に化粧前での出来事を繰り返しているようだ。繰り返せば繰り返すほどに、肝心なところが消えていく。消えていくのに、胸の奥はあたたかいままだ。通勤電車は相変わらず黒い。スーツの群れとコートの群れが揺れ、誰かの黒いバッグが膝に当たっては戻る。
花子はその中で、昨夜のメモ帳を思い出していた。花子の職場はどうだろう。声がやさしい日は、たしかに仕事が進む。声が尖る日は、同じ作業でも時間が伸びる。花子は自分が今さら何に気づいているのか、少し可笑しくなった。社会人ン十年以上だというのに。
会社に着くと、じきに朝礼が始まった。上司がいつもより早口で、締め切りの話をしている。花子は頷きながら、胸の奥でひとり考えていた。
――余計なものが混ざると不安になる
うっすらと残る記憶。余計なものが混ざると、誰かの手元が乱れる。朝礼が終わり花子は自分の机に戻って資料を整えた。紙を揃える音が大きく響き、思わずそっと書類を持つ指を緩める。花子の手元が静かだと、周りも少し静かになる。静かになると、なぜか呼吸が整う。
昼休み、同僚が花子に声をかけた。
「花子さん、今日、なんか落ち着いてますね」
「そう?」
「最近、忙しかったじゃないですか。なのに今日は余裕がある感じ」
花子は笑いそうになった。余裕ではない。余計なものを混ぜたくないだけだ。だけど、その言葉は飲み込んだ。代わりに、少しだけ口角を上げる。
「昨日、よく寝たのかも」
「それ、大事ですよね」
同僚がそう言って笑った。
ありがとうを持って行く
その日の仕事を終え、花子は駅前で足を止める。冷たい風に肩をすくめていたところへ、聞きなれた声が後ろから聞こた。
「花子!ちょうどよかった」
乾いた声。振り向かなくてもわかる。ヌマ友の由紀子だった。由紀子は手をポケットに突っ込んだまま、顎で駅ビルの方向を示した。
「キャトル、寄れる? きのう新しいの出たじゃない?」
「寄れるけど……今日は混んでそうだしなぁ」
「混んでるのはいつものことでしょ。混んでない日があったら教えて欲しいわ」
「それは、そうだ」
花子が笑うと、由紀子は口元だけをわずかに緩めた。
「実は梨沙ちゃんと楓さんも行くっていうから、待ち合わせしてるんだよね」
由紀子の行動は早い。ささっとラインで彼女たちに連絡したかと思うと、花子の腕に自分の腕を絡めてグイグイとキャトルに向かって行く。由紀子のそんなところが、花子は意外と嫌いじゃない。
キャトルの前では、梨沙と楓がすでに待っていた。梨沙はバリバリのキャリアウーマンらしくコートの襟をきちんと立てて、手袋を外すタイミングを今か今かと計算しているような顔をしている。楓は淡い色のストールを巻き、花子と梨沙を見るけて目尻を下げる。
「寒かったでしょう」
「寒かった~。顔が負けたわ」
花子がいつものノリで答えると、すかさず梨沙がツッコミを入れる。
「顔は負けてないよ、大丈夫。ちゃんと勝ってる」
「勝ってるって何?(笑)」
店内に入ると、熱気が肌にまとわりついた。棚の間を人が流れていく。誰もが目を輝かせている。花子も当然、その中の一人だ。花子が“目が合ってしまいそうなグッズ”たちから、意識して視線を外そうと頑張っていると、梨沙が花子の隣で、静かに囁く。
「今日は上限、決めてる?」
「特に決めてないけど。ま、決めたくないってのが正解かな」
「レジの前で泣くことになるのだけは避けたいよね(笑)」
梨沙は笑っているのに、目が真面目だ。花子は思わず背筋を伸ばした。梨沙の言葉は縛りではない。守り方の提案だ。梨沙が管理職なのは、たぶんこういうところだ。相手の自由を奪わないまま、事故を減らす。 由紀子が男役の写真が載った新しいクリアファイルを手に取り、眉を上げた。
「これ、顔力が強くない?」
「顔力が強いって、褒め言葉なの?」
「最上級!!」
結局、この日、花子は、紲瀬ひなたの写真が小さく入ったメモ帳と、舞台写真風のポストカード。由紀子は迷うふりをして、結局いつもの倍の量を抱えている。梨沙は買うものを迷わず決めて、支払いも迷わない。楓は一つだけ買って満足そうだ。
店を出ると、外の空気は冷たかった。4人はそのまま駅前の小さなカフェに流れ込む。いつもの奥の席。楓が迷いなくそこを選び、由紀子が「分かってる」と言いたげに頷く。温かい飲み物が揃ったところで、由紀子がいきなり花子の顔を覗き込んだ。
「で、どうだった?」
「なにが?」
「化粧前。夢の続きは見れたの?」
花子はコーヒーの湯気を見つめながら、なにを話すべきか慎重に言葉を選ぶ。全部を話せば、たぶん話が壊れる。壊れるのは、現実の場だけではない。花子の中の、せっかく整いかけた距離も壊れる。梨沙がカップを持ち上げながら、淡々と促す。
「どんな夢だった?」
「賑やかだった」
花子がそう言うと、楓がゆっくり頷いた。
「そうでしょうね」
「知ってるみたいに(笑)」
「見たことはないよ。だけど、想像はできる。人がたくさんいる場所だもの」
「静かじゃないの?」
由紀子が興味津々といった顔で花子を見た。
「静かじゃないよ。静かなときもあったけど、基本はみんな賑やかだった」
今度は梨沙が花子に質問する。
「賑やかって、どんな? 女子校の休み時間みたいな?」
「それ、近いかも。だけど、手元は止まらないんだよね」
「止まらないのに喋るの? なんか器用だね」
「器用っていうより…… 多分、慣れと、気遣いだろうね」
花子はすずの声を思い出しかけて、慌てて言葉を飲み込んだ。名前を出すと、話が一気に生々しくなる。生々しさは欲を増やす。花子はまだ、その欲の扱い方に慣れていないようだった。梨沙が花子の手元をちらりと見た。
「花子、今日、指先がきれいだね」
「え」
「爪、短い。整えてる」
「……気づいた?」
花子は思わず自分の指先を見た。昨夜、夕食よりも先に爪を切って整えた指先。香りのないハンドクリームで整えた指先。由紀子が、急に真面目な顔をした。
「でもさ。夢の中でも推しに近づくと、結構しんどくない?」
「しんどい!」
「でしょ?だよね」
「近いのに、話しかけられないし、触れないし…… 当たり前だけど(笑)」
「当たり前って分かってるのに、苦しくなるのが厄介なんだよね」
「由紀子も?」
「なるよ。なるから、お茶会とか、あえて遠い席のほうが落ち着いていられるから嬉しいかも」
「え、そうなの!?」
「そうだよ。わたしだって、ちゃんと緊張するんだからっ」
由紀子がそう言った瞬間、梨沙が小さく笑った。
「よかった、梨沙にもそんなところがあって」
由紀子が「うるさい」と言いながらも口元を緩める。そのやりとりが、花子にはありがたかった。重たくなりすぎない。だけど、軽くも流さない。4人の距離は、こんなふうにできている。楓がカップを両手で包みながら、ぽつりと言った。
「近いほどね、守るべき礼が増えるのよね」
「礼!?」
3人が楓の次の言葉をじっと待つ。
「失礼にならないように、っていう礼。相手の時間を壊さない礼」
「……壊さない」
「そう。好きな気持ちが強いほど、壊しちゃいけないものも増えるわよね」
花子は頷いた。昨日、賑やかな場で、自分の声が混ざる怖さを知った。それは恐怖ではなく、リズムを乱す怖さだった。花子はその怖さを、嫌だと思わなかった。むしろ少し安心した。境界線があると、守れるものもある。
由紀子がストローをくるくる回しながら言った。
「花子ってさ、普段は我慢が得意じゃん。だから余計に危なっかしい」
「危ないって何が?」
花子は不思議そうに聞き返した。
「我慢しすぎて、ある日突然、全部ぶちまける」
「ぶちまけないよ」
「ぶちまける。給湯室で泣いてる姿が見える(笑)」
「見えないし。そもそも給湯室でなんて泣かないし」
花子が笑って否定すると、由紀子は真面目な目のまま肩をすくめた。
「泣くのは悪くないけどさ、泣き方を失敗すると、翌日が地獄なんだよ」
「由紀子、もしかして経験者!?」
「うるさいわっ」
梨沙が、柔らかく場を戻すように言った。
「泣くなら泣ける場所を選ぶ。怒るなら怒り方を選ぶ。推し活って、だいたいそれだけでだいぶ楽になる気がする」
「でもさ、そんなに器用にできなくない?」
「器用とかじゃなくて、自分の癖を知るだけで違うと思う」
花子はその言葉を、胸の中でそっと転がした。癖。自分の癖。花子の癖は、抱え込むことだ。抱え込んでいても、平気な顔をすることだ。平気な顔が続くと、ある日突然、息が苦しくなる。息が苦しくなると、舞台の上の誰かのせいにしたくなる。花子は、そういう自分を、ちゃんと知っている。
楓が少しだけ首を傾け、花子に視線を向けた。
「花子ちゃん、そういえば今度ね、お茶会があるのよ」
「え!?」
「わたしのじゃないわよ」
「でしょうね(笑)」
「紲瀬さんのお茶会があるのよ♡」
「行くの!?」
「もちろん! 推しは推せるときに推せ!だからね。行けるときに行っておかないと」
楓が笑って頷くと、花子が続けた。
「でもさ、お茶会って緊張しない!?」
「するわよ。だから緊張する自分を連れて行くの」
「連れて行く?」
「緊張してもいいって思えると、少し楽になるのよ。あとは、何かをもらいに行くんじゃなくて、ありがとうを持って行く場所だと思うといいかも知れない」
花子はカップの縁を指でなぞった。ありがとうを持って行く。舞台を観るときの拍手と似ている。近づかないまま、届けられる気持ち。
「花子ちゃんも、いつか行きたくなったら行けばいいよ」
「わたし、会に入ってないし」
「会に入っていなくても、同伴者枠で申し込みできるときもあるから、そのときにはまた声かけるわね」
「自分が会に入ればいいんだろうけど……」
「入らない推し活だってあるし、会活動に熱心な推し活も、どちらが良いってことじゃないからね。好きなように推し活すればいいと思う、私は」
花子は、楓のその言葉に少し救われた。ヌマ友は仲間だ。仲間は相手に推し方を押し付けない。ただ、隣で一緒に楽しみながら、ときに歩幅を合わせてくれる存在だ。
やさしい余白
カフェを出てヌマ友と別れたあと、花子は電車の中でスマホを開いた。癖のように、情報を探しにいってしまう。公演の感想。ニュース。誰かの憶測。誰かの断言。画面に流れてきた言葉の中に、ひなたの名前を見つけた。花子は指を止めた。読めば、胸がざわつく。読まなければ、知らなくて済む。知らなくて済むのに、知りたくなる。その綱引きをしている自分が、少しだけ可笑しくて、少しだけ切ない。花子は画面をそっと閉じた。
確かなものは、いま自分の中にある。賑やかさ。声のやさしさ。そこから先は、花子の想像が勝手に作ってしまう領域だ。電車の窓に映る自分の顔。疲れているのに、目だけは少し明るい気がした。今日、ちゃんと仕事をして、ちゃんと笑って、ちゃんと買い物をした。それだけで充分だ。
家に着く前、花子は駅前の商業施設に立ち寄り小さな便箋を買った。高いものではない。白い紙に、薄い罫線が引かれた、ありふれたシンプルな便箋だ。どうしてそれを手に取ったのか、自分でも分からない。分からないまま、袋に入れてしまうあたりが、花子という人間だ。
帰宅して照明をつけると、部屋はいつもと同じ顔をした。狭くて静かで、冷蔵庫の音だけが小さく鳴っている。花子はコートを掛け、便箋の袋を机の上に置いた。何かに急かされるように椅子に座り、ペンを握る。誰に書くのか。答えは分かっている。だが、花子は宛名を書かずに、ただ一行だけ書いた。
――今日も舞台が無事に終わりますように。
次の行が出てこない。何を伝えたいのか。どんな言葉なら余計なものを混ぜずに済むのか。花子はペン先を止めた。化粧前で聞いた笑い声が、ふっと遠ざかる。ひなたの声も、もう輪郭が曖昧だ。花子は便箋をそっと閉じた。書けない自分を責めない。書けない日は書かない。花子は便箋を引き出しにしまい、手を洗いに立ち上がった。
洗面所の鏡に向かう途中で、花子はふと立ち止まった。自分の足音が、部屋の静けさの中で意外と大きい。花子は一歩ずつゆっくり歩き、鏡の前に立って自分の顔を眺めた。昨日の賑やかさが、いまは遠い。遠いのに、胸の奥だけがまだ温かい。
花子は鏡の中の自分に、軽く会釈をしてみた。誰に向けた礼か分からない。自分に向けた礼かもしれないし、見えない誰かに向けた礼かもしれない。そういう曖昧さを抱えたままでも、今日はちゃんと立っていられる。
そのとき、鏡の端が、かすかに光った。
花子は息を止めそうになり、ゆっくり吐いた。ここは自宅だ。叫んでもいい。けれど、叫ばないほうがいい気がした。花子は黙って銀色の光を見つめる。
銀色の線が、細い文字になった。
「次は稽古場だよ」
文字は短かった。短いのに、胸の奥がぎゅっとなる。化粧前が賑やかなら、稽古場はどうだろう。もっと声が飛ぶのか。もっと笑うのか。もっと、息が苦しくなるのか。花子は鏡に向かって、つぶやいた。
「落ち着け」
鏡の中の自分が、少しだけ笑ったように見えた。銀色の文字は渦を巻いて消えていく。花子はてを洗いながら、胸の中で小さく拍手をした。そして明日の予定を頭の中で並べてみる。朝礼、締め切り、帰り道のスーパー、そして稽古場。
いつもの生活の延長線に、稽古場という異物が差し込まれる。それが怖いのに、少しだけ嬉しい。花子は洗面台の端に、小さなミントケースを置いた。これはお守りみたいなものだ。息が乱れたら、まずミント。声が乱れたら、まず深呼吸。
「明日も、ちゃんと礼をする」
引き出しの中の便箋が、薄い影を作っていた。いつか“あの人”に手紙を書ける日が来たなら、その時に書けばいい。来なくたっていい。ただ、好きでいることだけは、今日も確かだ。花子は部屋の灯りを落とし、暗闇の中で一度だけ深呼吸をした。明日も仕事だ。そしてーー
稽古場が待っている。

【宝沼歌劇団 第7話│稽古場で見つけた言葉の魔法】の更新予定は2/13です。



