
・この物語はAIにより作成したプロットを採用し、AIと協働して執筆しています。
・掲載されているイラストはAIにより作成されています。
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前回のストーリー
明るい化粧前
ミントの甘い冷たさが、舌の上でゆっくり溶けていく。花子は口の中の小さな刺激にだけ意識を集めた。叫びたい気持ちが喉の奥で暴れようとするたびに、ミントが小さく叱ってくれる気がした。
化粧前は、思っていたより明るかった。鏡がずらりと並び、鏡の前の灯りが、ひとの顔をまっすぐ照らしている。舞台の照明みたいに夢を足してくれる光ではなく、肌の調子まで正直に映してしまう光だ。だからだろうか。空気は柔らかいのに、どこか引き締まっている。
そして賑やかだった。小さな笑い声が弾み、短い呼びかけが飛ぶ。ふっと漏れるため息も混ざるのに、不思議と刺さらない。誰かがヘアスプレーの缶を置く軽い音や、ブラシが毛先で頬を撫でるかすれた音が重なっても、耳は疲れなかった。必要な音だけが残って、余計な音が削られているような賑やかさだ。
「花子、目と耳だけだよ」
シルビーの声が、すぐ隣から聞こえた。花子は返事をしない代わりに、瞬きを一つだけしてみせた。返事をしないのに通じてしまう状況が、少し怖くて、少し助かる。
花子の視界の端に、いくつもの背中が動いている。椅子に座る人、立ったまま襟元を整える人、鏡の前で首を傾ける人。誰もが自分の手元で忙しい。なのに、声だけは柔らかい。誰かの声が尖りそうになると、別の誰かが軽い冗談で角を丸くする。
「ねえ、ピン見なかった」
「落ち着いて。いま探すから、先に下地だけ進めて」
「もう半分までいってる。だから焦ってるの」
「焦ってるって言えるなら大丈夫。ほら、息して」
娘役らしい澄んだ声が笑い混じりに言って、鏡の前の手は止めないまま、視線だけが床を走った。花子はその声の主が誰かを確かめようとして、慌てて視線を戻した。勝手に動かない、勝手に動かない。契約書の条文が、心臓の裏側で光る。
ピンを失くしたらしい娘役が、口を尖らせるようにして肩をすくめた。
「落としてないと思うのよね」
「落としてたら音がしたと思うけど、あなたの心の音はしてる」
「いま、そういうのやめて」
「ごめんごめん。……あ、あった。ブラシ立ての影」
「ほんと。ありがとう」
探していた人が小さく笑って、同じくらい小さく頭を下げた。謝るでもなく、責めるでもなく、助けた側も助けられた側も、さらりとしている。それがかえって美しい。
花子は自分の手を見下ろした。さっきから両手をぎゅっと握りしめている。力が入りすぎると、体は音を出す。音を出せば、誰かの手元のリズムに、ほんの少しだけ影響が出るかもしれない。花子は握り拳をゆっくり開いて、指先をそっと太ももに置いた。置いた瞬間、椅子のきしみが聞こえそうで、息を止める。
大丈夫。音はしない。ここで息を止めるほうがよほど不自然だ。花子は息を吐き、またミントを舌で転がす。
化粧前の奥の方で、男役らしい低めの声が弾んだ。
「しおん、それ、逆じゃない?」
「逆じゃないよ?今日はこっち」
男役スターの橘しおんが答える。
「今日は、って言い方が怪しくないか?(笑)」
「怪しくないよ。ほら、番号、これ」
「番号は正しいのに、あなたの顔が正しくない」
「顔は正しいけど、眉の角度が迷子かも。(笑)」
「迷子は拾わないよ」
「拾って!お願いだから(笑)」
冗談を言っているのに、手元は止まらない。笑いが起きても、誰かがひっくり返るわけでもない。笑いながら、ちゃんと呼吸をして、ちゃんと次へ進んでいく。花子はその感覚が、観客席で感じる夢の軽さと、どこか似ていると思った。夢の軽さは、こんなふうに、ひとの手と声と笑いで作られているのかもしれない。
鏡の列の中央で、娘役スターの花鳥まどかが髪を耳にかけた。その動作がやけにきれいで、しかも速い。花子は目を奪われそうになって、また自分のまばたきだけに意識を戻した。見ていい。でも、見方は丁寧に。
「まどかちゃん、襟、ちょっと」
「え、なに?」
「白い。ファンデだと思う」
「うそ。まだ着てないのに」
「着てないから、今なら拭ける」
「ありがとう……助かった~」
まどかの声が、少しだけ弾んだ。助けられた側がそのまま終わらず、助けた側に笑いを返す。
「それ、わたしの功績ってことでいい?」
「いい。今日一日ずっと言っていい」
「やった!じゃあ、今から言う(笑)」
「今はやめて」
「はいはい(笑)」
軽口が飛ぶ。だけど、角は立たない。花子はそれが不思議だった。舞台で見ていると、完璧な人たちに見える。完璧な人たちが、ここでは普通に笑う。笑っているのに、崩れない。崩れないのに、やさしい。
そのとき、空気が一瞬だけ、すっと道を開けた。
花子の視界の端に、長い影が滑り込む。背が高い。肩の線がきれいで、歩く速度が落ち着いている。歩き方だけで場所の温度が変わる。花子は思わず視線を向けそうになり、また歯を食いしばった。見たい。でも、見方にも礼儀が必要だ。
「おはよう」
声が聞こえた。明るいのに柔らかい声。花子の胸の中で鳴り響くファンファーレと、連打される大太鼓。
紲瀬ひなたの声だ。
花子は喉の奥に名前を溜め込んだまま飲み込む。飲み込んだはずなのに心臓が勝手に音を立てる。ここで一番うるさいのは、自分の鼓動かもしれない。

「おはようございます」
そこにいた生徒たちが一斉に挨拶を返す。
「今日は早いんだね」
「え、ひなたさんが早いんだと思いますよ?(笑)」
「早くないよ。これが普通ですけど?」
「普通の顔して、目だけなんか超高速!(笑)」
「目の切れ味だけはね(笑)」
「それが一番こわい」
「こわいとか、失礼なっ。(笑)さ、準備してくるわ」
短い往復だった。笑い声が一つ、軽く落ちた。ひなたはそのまま奥へ進み、椅子の背に片手をかけて鏡の前に座る。座っただけで、周りの空気が落ち着く。何かを支配するような強さではない。そこにいるだけで場が整う。そういう落ち着きだ。
ひなたの隣で、トップ娘役の水城すずが鏡越しに目を合わせて唇だけで笑った。手元は忙せわしなく動く。ブラシが動く。スポンジが滑る。髪の生え際が整えられていく。音は小さいのに速度は速い。花子は、その速さの中にある丁寧さに、なぜか泣きそうになった。
隣で準備している花鳥まどかがすずに話しかける。
「すず、リップどっちにする?」
「今日は、こっちかな。……ほら、まどかちゃん、それ衣装に付くよ」
「あ、やばい」
「大丈夫、セーフだった。(笑)焦らないで。あなたは焦るとかなり危ないんだから」
すずの声は優しいのに甘くはない。花子はその優しさが、自分に向けられているわけではないのに、胸の奥が温かくなるのを感じた。優しさがあるところには、それだけで息がしやすい空気が漂うものだ。
やさしい声が場を回す
鏡の列の向こうから、ひときわ通る声がした。高い声ではない。張りのある声だ。声が聞こえてくる方向を見ると、そこでは桐生みやびが鏡の列をゆっくり見渡していた。
「はい、青組さん、時間、見よか~」
桐生みやび、青組の頼れる組長さんだ。誰よりも目が温かく笑っているのがわかる。だがここでは、朗らかなまま、容赦なく現場を回す人だ。
「みんな、今日も横に広がらないで、縦でいこうね」
「縦って?」
近くにいた上級生が不思議そうに聞き返す。
「背筋を伸ばす!」
「なるほど」
「あと、あなたは、荷物ね」
指摘された生徒が、慌てて足元に広がる荷物を整えながらバツが悪そうに笑う。
「ほんと、お願いね。(笑)あなたの荷物は毎日横に広がってるから」
「すみません、気をつけます!」
「あなたのその素直さは、最上級!(笑)」
みやびはけっして叱らない。ましてや命令もしない。優しい声で伝えているだけなのに、周りの手は自然に動く。広がった小物が端に整えられ、足元に無造作に置かれていたバッグが化粧前の下に収められる。強い言葉で縛らくても、人はちゃんと動けるし、その場はちゃんとまとまる。

「綾瀬さよ、今日の眉は左右、ちゃんと仲良ししてる?」
名指しされた下級生の娘役、綾瀬さよは、細い眉ペンを握ったまま口元だけで笑う。
「仲良し、してます、たぶん」
「たぶん、はアカン」
桐生が言うと、周りが小さく笑った。笑いが、仕事の邪魔をしない大きさで落ちる。隣の席では、もう一人の下級生が肩をすくめている。花子はそれが期待の新人男役である椿原りんであることを認識した。椿原は鏡に向かったまま、半泣きの声を出した。
「今日、まつげが言うこと聞いてくれないんです」
「まつげは気分屋やからな」
桐生はさらりと言う。そして続けた。
「でも舞台は、その気分屋さんよりう~んと強いから大丈夫や。ほら、手、動かそ」
その言葉で、空気が一段、前へ進んだ。花子の胸の奥が「うわ」と声にならない声を上げる。舞台は、気分屋より強い。客席で聞いていたら単なる格好いい台詞だが、ここで聞くと、まぎれもなく現場と向き合う人々の言葉だった。格好つけていないのに、格好いい。
椿原が、まつげを直しながら小さく言った。
「舞台のほうが気分屋やと思うわ……」
それを聞いた綾瀬が、息だけで笑った。
「どんだけ気分屋でも、お客さんが待ってはる限り、うちらは行かなあかんねん」
そこへまた、低い声が重なる。姿は見えなかった。
「まだあと10分。いけるよ」
「れんさんのその短文、落ち着く(笑)」
2番手の男役スター、鷹宮れんの声だろうか。花子は名前を当てることさえ怖くなって、視線を床に落とした。ここで花子ができることは、ただ見て、ただ聞いて、邪魔をしないことだけだ。
「短くしないと、余計なものが混ざるじゃん?」
「余計なものって?」
「不安」
「たしかに」
化粧前の賑やかさは、騒がしさとは違った。たぶん、誰もが「自分のことでいっぱい」なのに、「周りのことも見えている」からだ。自分の鏡の中だけに閉じこもらない。誰かの手が困っていれば声をかける。声をかけるけれど、引っ張りすぎない。そういうほどよい距離感が、言葉の端々に感じられる。
花子にとって推しがいる世界は遠い。遠いからこそ勝手に想像が育つ。想像はときに優しく、ときに乱暴だ。花子は昨日まで、その乱暴さを自分の中で見ないふりをしていたかもしれない。
突然、ひなたの椅子の下から、小さな音がした。金属が床を転がる、乾いた音だ。
「ん?」
「なんか落ちたよ。ボタン?」
ひなたが背後を振り返る。そこへ間髪入れずに橘しおんが少し離れた席で声を上げる。
「私のです!そんなところまで、、、すみません!」
「大丈夫、大丈夫」
ひなたはそう言いながら、自分の椅子の足元を少しだけずらす。しおんの隣に座っているひなたの相手役、すずが鏡越しに微笑みを浮かべていた。しおんはボタンを拾い上げ、ホッとしたようにひなたに声をかける。
「よかったです、ひなたさんが踏まなくて」
「え、踏んだら縁起悪い?」
「踏んだら、、、痛いです」
「しおん、あんたはホントおもろいな(笑)」
周囲に明るい笑いが起きる。でも、その笑いは各々の準備を遮ることなく静かにその場に吸収されていくのが不思議な感覚だった。そのとき、シルビーが花子の肩をちょんと叩いた。
「今日はここまで」
花子は反射で首を振りそうになった。まだ見ていたい。まだここにいたい。でも、彼女の頭の中に条文の5つ目が頭をよぎる。
――記憶はうっすらと消えていく。
欲張れば、後で苦しくなるだけかも知れない。花子は目を閉じた。閉じたまま、胸の中で静かに拍手をした。
「戻るよ」
シルビーの声が聞こえた瞬間、足元がふっと軽くなった。化粧前の灯りが遠ざかり、鏡の列が銀色にほどける。花子の鼻の奥に残っていた化粧品の香りが、薄い霧のように流れていく。
次に花子が目を開けたとき、ソファの背中が自分の体を支えていた。ルヨンクは膝の上で開かれたまま、マグカップはまだ温かい。
現実はいつも通り、悔しいほどに静かで、いつも通り容赦がないーー。

【宝沼歌劇団 第6話│賑やかさの余韻と次の扉】の更新予定は2/9です。



